遅いけど、静岡県東部の地震実況(長文になっちゃった)記録としての書き込み。

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昨夜から今現在までで、およそ15時間くらいで、60カウント。意外にアクセスが多い。
少しはマトモな文章を書かねば、なんて思ったりして(汗)。

ところで遅ればせながら静岡県東部の地震、この地震で被災しました。被災前後の話をば。

 当日は、計画停電実施日であった。時間帯は12:20-16:00(実際は12:50-15:50であったが)。この計画停電が落ち着くまでは会社の方針で、フレックスタイム制とすることが前日に決まった。で、この日は出勤をAM6:30-PM3:30、すなわち停電開始までとすることが決まっていた。
 わが社は製造業でもあり、工場の稼働時間も制限されるため、私の持っているテーマの試作を停電復帰後に行おう、ということが、この日の打ち合わせで決定、急きょ準備を進めることに。試作自体も充填3時間+乾燥行程が12時間かかるので、充填だけでもしておこうということに。
 充填は無事終了(とはいっても課題の残るものだったが)。この時点で22:15。工場を出て帰宅するために着替えを済ませ、少し離れている自分たちの建屋(開発棟)に戻った。
 試作の道具を開発棟の2階に適当に置いておき、ここで後悔することになるが、「分析用の試薬棚のカギを施錠せず」に戸締りして1階へ。実際、この日は6:30出勤だったので、ヘトヘトだった。しかし、不覚であったことに間違いない。
 1階に下りてきて、飲みかけの紅茶を捨てに行こうとマグカップを手に取り、歩き出したその瞬間、下から突き上げるような大きな揺れ。
 すわ、余震か!反射的に天井を見上げ、落下物のないことを確認、右手を壁につけた。試作は上司が一人いたが、ちょうど近くにいたので、二人で開発棟を脱出。左手で飲み物を持つ癖(?)がある私は、その時は落ち着いて近くの机にマグカップを置いてから外へ脱出。
 東北地震後は、携帯を携帯することにしていたので、携帯で状況を確認する。この時はまだ情報が出ていなかった。それでも揺れ方が直下地震のようであったことから、まさか東海地震か?などと思ってしまった。
 体感的に震度5-6くらいだろうとその時は思ったが、揺れが収まって、すぐに自分のバッグを取りに開発棟へ入った。
 しかし、予想以上の惨状であった。真っ先に自分のバッグを手に取る。するとプー、プーとけたたましく鳴る音が。電話の受話器が外れていたのだ。それを元に戻す。もしや980galを超えていたのか、と直感した。2段重ねしている1m×2mの大きな棚(中は本など重いものがギッシリ詰まっている)の上の棚は1/3ほどずれ、落下しそうであった。開発棟内は数か月前に模様替えをしており、棚はすべて耐震補強をしていなかった。そのため、棚は地震ですべて動き、中身は飛び出し、さんさんたる有様であった。
 しかし、幸いなことに開発棟には私と上司の二人しかいなかったことであろう。ほかの社員がいた場合、人的被害は免れなかったことは容易に想像がつく。
 受話器を元に戻してものの数秒後、再び大きな揺れ。あわてて再度外へ。外でしばらく待機していると、私の足がガクガクし始めた。今思うと、頭の中では分っているが本能で地震の恐ろしさを体感し、恐怖を感じたのだろう。しかし、それが正常であると思う。自然の力の大きさの前に人類は打ち克つことはできないのだから。
 2回目の外での待機中に、充填を依頼した、開発棟のメンバーも工場から戻ってきた。別件で工場に入っていた人たちも無事だったようだ。これで、この時間帯に出勤していた開発棟メンバー8名は全員無傷で無事だった。
 ここで、震源地が静岡県東部…いや、小さい携帯画面では細かい部分は分らなかったが、わが社の位置は最大震度の場所ではないか!震度は6強!
 そうそう、地震による停電はなかった。これは不幸中の幸いであった。
 ずっと会社にいても仕方ないので、帰宅することにしたが、正直、車での帰宅は躊躇した。が、自宅まで20kmはある距離である。覚悟を決めて車で帰宅…したものの、道路はスイスイ、信号機も停電しておらず、拍子抜け+ホッと安心して帰宅。
 自宅では両親がいたが、家は無傷だったようだ。母親に言わせると、「カゴにはいっていたバナナが落ちた」程度だったようだ。
 
 とにかく、もっと書き込みしたいが、続きはまた後ほど。しっかし、私も状況をよく覚えてるものだなぁ…。